速記録(稲葉武司)
●「デザインプロセスと脳の働き―総合学習のためのノート」
稲葉 武司
私の生業は建築の設計です。建築、特に設計を学ぶ学生は、入学試験で良い成績で入学してきます。入学後、他の授業ではきちんと学んでいけるけれど、設計だけはいくらやってもうまくならないのです。これは何かがおかしいのではないかと思い、そこから私はこの研究を始めました。
学生の設計能力はいろいろな要素があって発展していくのですが、その研究をしているうちに、子どものときの体験、特に空間体験と関連があるのではないかと考えるようになりました。今日の話は「デザインプロセスと脳の働き」ということです。私は、お手元の抄録にもありますように、全く医学には関係のない人間ですから、私の話す脳に関することは全く素人の話です。ただ、自分が設計という分野にいますから、鉛筆一本あれば超高層でも設計してしまうこともできます。つまり、紙と鉛筆さえあれば何でもできる商売ですから、そういうわけで脳についても考えてみました。
きょうの話の全体は2部に分かれております。脳の働きと教育という問題です。それは、医療から教育を考えると、脳の中でも前頭連合野という頭の前側の働きは実行機能だと言われますが、それが教育と関係があるということです。そして、その教育のカリキュラムをどういうふうに考えると、それがゆとり教育とか総合学習に結びつくだろうと考えました。さらに、そういうカリキュラムを含むということから、脳の全体を総合する作戦本部としての働きをする前頭連合野の教育を少し詳しく考えてみようということです。さらに、実はそれがデザインという仕事と非常に密接に結びついていて、結局デザインの勉強をそのまま子どものところまでおろしてきても、その、脳の一番総合的な働きをする部分を活性化するのではないかということです。それは、デザインプロセスについて少し詳しく述べること、それからそういうことが実際にデザイン教育とか建築教育でどう行われているかというようなことを述べ、そしてそれを子どもの学習に実現していくためにはどうしたらいいかという展望を述べることになります。
では、「総合学習と脳とデザイン」という簡単な三題ばなしにまとめてお話ししてみます。三題ばなしですから、この3つに何らかの関連性がないとおもしろくないんですけれども、この3つのつながりはどういうことかから始めましょう。
総合学習が今、問題になっています。「やめちゃえ」と大臣が言いまして、今、教育現場は大変揺れております。総合学習が揺れてしまった原因は実はその方法論が確立しない、みんなが模索をしているということです。確かにそういうものは必要だろう、何か総合学習というものはやらなければいけないんだということをみんなわかっていたから始めたんだけど、どうやっていいかがわかんないのです。そうこうしているうちに、学力テストをやったら学力が下がってしまったということになりました。すると、総合学習とは一体何だということと、総合学習の方法論とは何だろうということがあります。
そこでまず総合学習について見ていきますと、何か総合学習と脳が結びつくのではないかと考えられます。勉強はある意味で、いろいろな脳と結びつくところがあります。ハワード・ガードナーは、いろいろな人間の知能、数学的な知能や音楽的な知能などがあるから逆にそういうものを対象にしてまとめた教科科目があると考えました。そうすると、総合学習をするための科目は何か、また、別な言い方をするとそこを担当している脳は何かということになりますね。数学の勉強というのは数学的な脳を働かせるということと関係があるわけだから、総合学習は総合学習を働かせる脳があっていいのではないかということになります。そこで総合学習と脳はつながってくるわけです。
では、実際に脳の働きを教育と結びつけるとすればどのように考えていったらいいか。例えば数学的な脳というのは、脳の中をあけてみてもわからないと思うんですけど、中でカチャカチャと動いて足したり引いたりしているとすれば、外側で我々が見ているそういう数学という現象、それを学校で勉強という形でやるから、脳が刺激される。別な考えをすれば、何かやればその脳が刺激される。だから、その何かを見つければ脳が刺激され、総合学習が成り立つだろうと私は考えたわけです。
そこでデザインというものが浮かび上がってきました。後でお話ししますが、前頭葉、前頭連合野ないしはその働きそのものであると言われる実行機能を具体的な形で行っているもの、それがデザインだということになります。こういうつながりをうまく説明すれば、三題ばなしが成り立つわけです。
まず総合学習です。総合学習というのは、皆さん御存じだと思いますが、2002年に文科省が導入いたしました。「どの小中校でも各学年あたり授業総時間の10%前後を費やすこと」というような話でした。最低でも70時間、小学校の1学年では100 時間ぐらいとらなければならないことになっています。この総合学習が出てきた理由は詰め込み教育の弊害です。ただ物ばっかり覚えていても、何も考えたり解決したりできない。それから個性がない。みんな同じだということです。つまり、問題が解決できない。言われたことはできるけれども、すすんで物を解くことができない。したがって、何か物をつくってもみんな似たようなものしかできない。そして元気がない。そういうことから、みんなが何かしら漠然とした不安を覚えて考えたのが、時代に合った勉強、しかも生きる力が必要ではないかということです。そこで、それまであったいろいろな科目とは別な新しい科目を設けてやらなければならないということになったわけです。
しかし、先ほどお話ししたように、それについて科学的に検証したり、いろいろな方法論が確立したり、実際の科目ができたりはしていません。旗振り役の文科省の指導要領解説書を読むとわかりますが、「これが必要だ」ということは書いているんですけど、「どうやるか」については全部、教育現場に創意工夫を重ねなさいというわけです。あれほど創意工夫という言葉が出てくる冊子はないんですが、それが現場に渡されてしまいました。それが総合学習というものです。つまり、そこで何をどんなふうにして勉強したらいいのかについて、もっと端的に言ってしまえば、それが担当する脳のことについても、何もわからないままだということです。
そこで今度は脳の方から見てみたいと思います。私は脳の実物を全く見たことがありません。しかし、持っていることは確かなんですね、この頭に一個だけ。
ところで、まず脳がいろいろな人間の関心を引いたのは病気の治療ということからだったと思います。病気になると、いろいろなところに原因がありますから、そこに薬を与えるとか、手術して切り取ってしまうとかということをする。それが治療です。脳も手術が行われているうちに、どうも頭のよしあしは脳に関係があるようだということを考えるようになる。それについての非常に大きな発見は、1970年代だったと思いますが、カリフォルニア工科大学のスペリーのグループによる発見――右と左の脳は違うことをしているのではないかということです。それによって、それまで宿命論的に考えられていた頭のよしあしは、脳の働く場所に左右されるということがわかる。そして、途端に、これを教育に利用するということになります。
ここには子ども関係の方が大勢おられるので、例えばベティ・エドワーズの『脳の右側で描け』をお読みになった方がいると思います。この本を早速利用して、脳の機能を上手に利用して、絵が下手な人が上手になるというような方法を考える。「右と左の脳が違うから、右脳を磨け」などという本については昨今新聞にたくさん出てきます。このように、脳の機能の局在と教育とがどこかで結びつくという考えは実はここ最近の趨勢で、脳科学についての関心が高いということだと思います。
しかし、右や左、前や後ろがあっても、人間の総体としての存在――ホリスティックな存在です。だから問題は、ただ単に右とか左とかいうことではなくて、その中でも特に、そういうものを全部まとめて、「人間が人間らしく生きていくというものは何か」ということになります。
実はそういう問題については一般に精神病のカテゴリーはありましたが、最近ではそれが学習障害と言われるようになりました。脳が物を覚えるとか判断するとかということはできるけれども、結局、自分の人格全体を統合できない。注意欠陥多動性障害、ADHDと言われるものについてはラッセル・バークレー先生が大分有名です。とにかく、人が物を学ぶとか考えるとかということではなく、ほかのことをする脳に目を向ける必要がある。それが総合学習の担当する脳ではないかというふうに考えられるわけです。
そこで、その脳の働きを一つのフローチャートにしてみます。そうすると、このような流れが考えられます。物を特定する。目標を設定する。仮説を立てる。判断する。こういうようなフローを何回も繰り返すというのが脳の働きです。これが先ほどの実行機能の流れであります。つまり、それが前頭連合野の活動なわけです。
先ほどのラッセル・バークレーの話を図化してみると、こういう形のフローになります。そういうフローは、一つの問題解決という形に置きかえて考えてみるとよくわかります。例えば、ここにあるように、チンパンジーにとってもバナナをとるということは問題解決です。そこでこれが、一体どのような内容の問題解決なのかをもう少し詳しく考えてみます。すると、バナナまでの高さから自分の身長を引いた、その差を解決することが考えられます。その解決は2つあります。そこまで届くものを手に入れるか、それに自分が行くような高さにするかの、どちらかです。それについて幾つかの選択をして物をつくる。こういう流れがあります。そして、そのことに対する情報修正や判断をし、条件を設定し、仮説をたて、どちらがいいかというようなシミュレートをし、それについて生まれてくるいろいろな手段を実現していく。この流れはいわゆるデザインです。デザイン教育ではこういうことをやりますが、それを抽象化して考えると、実は、前頭連合野の働きそのものなわけです。そして、この働きのどこかに不調があると、問題を解決することができないだろうということになります。
それを「脳の働きとデザイン」ということで対比的にまとめたものがこれです。細かいのですが、脳のどのような部分がどのような働きをするかについては、障害ということで逆に考えられます。そこに故障があるとそういうことができない。だから、それらを結びつけて考える。それをフローチャートに置いてみると、結局デザインのフローチャートと一致するということがわかってきます。そしてさらに、教育という面で考えてみると、そういう故障が起こる部分を治していけばいいのではないかということになります。
では、実際のデザイン教育はどのように行われているかといいますと、実はこのフローを教えます。そして、先生はその途中をチェックする。どのように解いていくかということにおいて、「君はここのフローのこの要素を失敗しているから、もとへ戻りなさい」とか、「ここは済んだから先に行きなさい」などというような形で教えます。そういうことを教えられているうちに、自分がそのフロー、ここで言えば頭の実行機能を上手に回転させるということが身についていきます。そして、その技術と、物を表現したりつくったりする技術とが結びついて、デザインが完成していくわけです。ところが、実際、教室で行われているのは、もちろんそういうフローも教えるんだけれども、解答が一つのものについて、ただ綿々と先生が黒板に書いて、学生はノートに写し、その写した量を後でテストする――詰め込みというのはそういうことなんですね。それに対して、総合的な学習というのは、デザイン教育のようなものであって、途中途中のフロー、実行機能の流れがどうであるかということをチェックすればよいということになります。
そういうことに基づくと、そこから、普通私どもがやっているような建築だとか都市のような、デザインになる身近なものを題材として子どもに与えながら、それにいろいろな科目を結びつけるというような形で一つの総合的な学習のプログラムができあがります。実際にそれに近いものをつくり実施している、ないしはそれに近いものを考えた先生方もおられるということです。
ここは省きますが、いろいろな科目と結びつくということです。そして我々の暮らしは結局、昔と今を比べればわかりますが、問題を解決するとまた新しい問題が起こる。それには、物をつくったり解決したりする力が要求されることですし、そのようなダイナミズムの中に我々は生きていかなければならないという現実があるわけです。それが総合的な学習を必要とした理由であり、それからその総合的な学習のプログラムを考えるときに、脳とデザインの関係を考えると、一つの新しい解答が出てくるのではないかと考えます。
私は「建築と子どもたちネットワーク」というNPO の代表をしておりますが、子どもたちを対象にそのような学習を今いろいろと試行錯誤しながら進めております。少し時間を超過して先を急ぎました。以上でございます。