第6回「子育てに『もう遅い』はありません~どの子も育つ共有型しつけのススメ~ 」(1)

講師:内田伸子
(十文字学園理事・十文字学園女子大学特任教授、筑波大学客員教授、お茶の水女子大学名誉教授)

日時:2015年12月19日(土)13:00~15:00
場所:お茶の水女子大学 文教1号館1階大会議室


○安藤 第6回子ども学カフェを開催いたします。


本日お話しいただくのは、お茶の水女子大学名誉教授で十文字学園の理事でもいらっしゃる内田伸子先生です。日本の発達心理学、子育てや教育に関して、まさに中心的な発言と影響力をお持ちの先生は、日本子ども学会でもずっと会を牽引してくださってきました。
今日は「子育てに『もう遅い』はありません」という、先生がずっとメッセージとして発せられ、本のタイトルにもなっている話について、最新のデータなども踏まえながらお話しくださいます。内田先生、よろしくお願いいたします。


○内田 皆様、こんにちは。日本子ども学会の「子ども学カフェ」にお越しくださいましてありがとうございます。今日はお菓子やお茶を召し上がりながら、気楽に楽しく聞いていただければと思っております。
この講演では、第一に、想像力の発達について五官を使った体験が不可欠であること、第二に、学力格差は幼児期から始まるのか、第三に、子どもを伸ばすしつけや言葉かけはどのようなものかについて考察し、子どもの創造的想像力を育むための親は子どもにどうかかわったらよいか提案したいと思います。


■1.想像力の発達
1)想像力は「生きる力」である

想像力は生きる力であると私が認識するきっかけは、ユダヤ人医師ヴィクトール・フランクルの『夜と霧-ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房、1961年)の著作を通してでした。フランクルは第2次大戦のときにドイツ・ナチスに捕えられ、強制収容所で強制労働に従事していました。あるとき、囚人たちの耳に12月24日に自分たちは解放されるというニュースが伝わってきました。12月24日の朝、今か今かと待ちわびる人々の耳に届いた知らせは「解放されるというのはデマであった」という残酷な知らせでした。その途端、収容所のあちこちで悲鳴があがりました。身体に何の故障もない元気な若者たちが、ショックのあまり心停止状態に陥り、ばたばたと倒れて息絶えてしまったのです。一体どうしてこんなことが起こったのでしょうか。フランクルは次のように述べています。


「人間が強制収容所において、外的にのみならず、その内的生活において陥っていくあらゆる原始性にもかかわらず、たとえ稀ではあれ、著しい内面化への傾向があったということが述べられねばならない。元来、精神的に高い生活をしていた感じやすい人間は、ある場合にはその比較的繊細な感情素質にもかかわらず、収容所の生活のかくも困難な外的状況を苦痛ではあるにせよ、彼らの精神生活にとって、それほど破壊的には体験しなかった。なぜならば、彼らにとっては恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開けていたからである。かくして、そしてかくしてのみ、繊細な性質の人間がしばしば頑丈な身体の人々よりも、収容所の生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである。」(フランクル,1961;121-122頁より)


人はパンのみにて生きるにあらず、精神力である想像力を働かせることによって生きる力が与えられるのだ、ということをフランクルはこの書で訴えております。


2)イメージの誕生―「第一次認知革命」
  では想像力はいつごろから働き始めるのでしょうか。生後10カ月ごろにイメージが誕生します。この時期には、脳の記憶をつかさどる部位―大脳辺縁系の海馬の神経活動が始まり、体験を記憶貯蔵庫に蓄積します。目の前に似たような出来事があると、それに関連した記憶を思い出し、頭の中にイメージの形で描き出すようになるのです。たとえば、積み木を自動車に見立てて遊ぶ、「見立て遊び」やドレッサーのヘアブラシを見たときに、母親がブラシで髪をとかす姿を思い出してまねる「延滞模倣」もみられるようになります。記憶を蓄えるようになると、モノは見えなくなってもあり続けるという、モノの同一性の認識が始まります。この時期の赤ちゃんは「いないないばぁ」遊びが好きですが、これは、お母さんが消えてもまた出てくるという予測をもつことができるからです。


生後10カ月ごろになると赤ちゃんは母親が見ているモノを見る、いわゆる「共同注意(joint attention)」をするようになります。また環境内の変化に敏感に反応して、びっくりした表情で「あれなに?」と母親に問いあわせるかのように母親の顔を見上げる「社会的参照(social referencing)」などの行動がみられるようになります。これらの行動は赤ちゃんの内面にイメージが誕生したことを意味しています。イメージ(表象)が誕生したことで、何かを別のもので代用して頭のなかにそのモノのイメージが描けるようになったことを意味しています。首がすわったとか、ねがえりができるようになったというように外からはっきりとわかる変化ではありませんが、頭の中にイメージをもつようになったということは、認知発達上の革命的なできごとですから、私はこの時期の変化を「第一次認知革命」と呼んでいます。


お母さんとの愛着関係が形成されるようになると赤ちゃんはお母さんのそばにいたがるようになります。愛着を形成した人といると、赤ちゃんはご機嫌よく遊んでいますが、遊んでいる間もお母さんの姿を確認したり声を聞こうとする様子が見られます。赤ちゃんは大人の反応に敏感で、環境内の変化に気付くと、緊張して「あれなに?」というようないぶかしげな表情で他者に問いあわせる行動、いわゆる「社会的参照」をします。


カリフォルニア大学バークレー校のキャンポス(Campos, J.J.)たちは、「視覚的断崖装置」を使って社会的参照の出現を調べています。断崖があるように見える装置の端に乳児を座らせ、対面に立っているお母さんにさまざまな表情をしてもらい、乳児がアクリル板を渡るかどうかを観察しました。お母さんがおびえた顔をした場合、赤ちゃん全員が断崖を渡らず、お母さんがニコニコすると、19人中15人が渡りました。赤ちゃんは、お母さんの表情にとても敏感で、お母さんの表情を手がかりにして自分の行動を調節していることがわかりました。


幼児教育学科の向井美穂先生は社会的参照の出現条件について調べてみました。まず18カ月の乳児と母親にプレイルームで遊んでもらい、慣れたところで乳児が見たこともない「犬型のロボット」のアイボを提示しました。すると30名の乳児のうち12名は社会的参照を行いましたが、残りの18名は母親の表情を確認することはなく、目は犬型ロボットに釘付けになっていました。中には犬型ロボットがなぜ動くのかを知ろうとするかのように興味深そうに近づいて観察する子どももいました。その後、同様の手続きで別の子どもたちを対象に12カ月と18カ月の時点で縦断的実験を行ないました。12カ月の時に母親への社会的参照行動をあまり示さなかった子どもは18カ月でも同様の姿を見せることが多かったのです。キャンポスらの実験では対面の位置に母親がいるため殆どの子どもが母親の顔を見ることになりますが、向井先生の実験では子どもは母親の斜めの位置に座っているため、母親の方を見ない子どもも出てくるのです。


この実験に協力してくれた子どもたちは平均で1週間に40語も新しい語彙を、自分の語彙のレパートリーに付け加えるというような、急激な語彙爆発が起こっていました。どんな語彙を発話するかを調べてみると、社会的参照をした子どもの語彙の65パーセントは "おいち(し)いね"、"きれいね"、のような挨拶や感情表現のことば、残りが名詞でした。これは人間関係に敏感なタイプではないかということで、私たちは「物語型」と名前を付けました。そして、母親に問い合わせず、アイボを見つめていた子どもの発話語彙の95パーセントは名詞で、残りの5パーセントは「落っこった」、「行っちゃった」、「ピーポピーポって いってる」というような動詞でした。これらの子どもは、モノの動きや変化、因果的な成り立ちに敏感なタイプということで私たちは「図鑑型」と命名しました(内田・向井,2008)。図鑑型の一番はじっこにいるのがアスペルガーや自閉症のお子さん、物語型の一番はじっこにいるのが、ダウン症のお子さんです。定型的な発達をするお子さん方はこのどこかに位置しているのです。


これらの一連の研究は、子どもの感情が外界の知覚や行動の「社会的調整役」を果たしていることを示唆しています。また他人の感情の理解はかなり早期から開始され、他者の感情を自分の行動の調整の手がかりにしているという点は非常に興味深いと思います。親の側でも子どもの特徴、個性や気質に敏感で、子どもへのはたらきかけ方を自然と調節している点も興味がひかれます。


この物語型、図鑑型を分ける原因は、父親か母親の遺伝情報から受け継いだもので、個性の核になる気質の違いです。同じご夫婦からでも、どちらの遺伝情報をより多く受け継ぐかによって「物語型」「図鑑型」の両方の子どもが生まれる可能性があるのです。こんなふうに、乳幼児初期から、何に敏感か、何に関心を持つのかが分かれるのです。また、図鑑型は男の子が多く、物語型は女の子が多いというような性差もあります。


男のお子さんは女のお子さんに比べて環境ストレスに傷つきやすく、遺伝病にかかりやすく、ストレスに耐えられないのです。男の子は、環境変化に敏感で、夜泣きも多いし、病気に罹ると女児よりも重いのです。それに対して、女の子のほうは身体が大きくて口が達者で、人の顔色を見るのも上手です。女児は3歳になれば、もう一人前の「レディー」と言ってもよいくらいに社会性も発達します。このように第二次性徴までは女の子が男の子に比べて順調に成長していきます。しかし、第二次性徴の起こる思春期に、男児も追いついてきます。男児の身長は急に高くなり、女の子を追い越してしまいます。声も低くなり、筋力もついて頼もしくなります。このように、男女の成長発達の時期の違いや環境への適応の仕方の違い、得意分野の違いなど、性差や個人差を大事にして子育てしていただきたいと思います。


3)体験が豊かであるほど想像世界は豊かである

生後10カ月ごろに、イメージが誕生し、想像力が働き始めます。見えない未来を思い描くためには材料が必要です。五官を使った直接体験や、絵本や図鑑で知った擬似的な体験も含めて「経験」が多いほど豊かな想像世界を描き出すようになります。しかし想像は経験とまったく同一のものではありません。思いだされる経験は、断片的なものですから、それをつなぎ合わせたり、あるいは脈絡をつけたりするときに、必ず加工作用が起こります。想像すれば必ず何か新しいものが付け加わります。新しいものが生まれる創造の可能性が出てくるのです。「想像は創造の泉」なのです。


2歳5カ月の女児と3歳8カ月の女児の語りを比べてみましょう。3枚の絵カードを子どもの前に置いて、お話をつくってもらいました(図1)。


2歳5カ月の女の子は『①うさタン、ピョンピョン、②イテェー、ころんだよ、石、ころんだ、③エーン、エーン、うさタン、えーん』。自分も泣きまねをしながら、語ってくれました。


3歳8カ月の女児は、『①うさこちゃんが、お月さんを見ながら、楽しくダンスしていました。②上ばかり見ておどっていたので、石ころにつまずいて、水たまりに、しりもちをついてしまいました。③頭から、水ぬれになった、うさこちゃんは泣いてしまいました』と語りました。想像力を働かせ、絵には描かれていない要素を補い、イメージを描きだし、そのイメージを解釈して語ってくれたのです。


図1
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4)暗記能力は「収束的思考」・想像力は「拡散的思考」

今ここで暗記能力と想像力の違いを整理しておきましょう。思考活動は、収束的思考と拡散的思考の2つのタイプに分かれます。収束的思考は暗記能力、拡散的思考は想像力です。どちらの思考も知識や経験が材料になります。収束的思考は既有知識や経験を加工せずに取り出す、日常語で「暗記能力」のことです。試験問題を見て目の前にして覚えたことをそのまま使って答え、知識を再現することが求められるのが暗記能力です。しかし、知識や経験を思い出して、類推を働かせたり、因果推論を働かせることにより、映像的なイメージや言語的なイメージを作り出す力が拡散的思考、つまり想像力なのです。


私たちが生きていくうえで必要なのは、むしろ想像力のほうです。私たちが人生のいろんな時期に出会う課題というのは、答えが決まっている課題というのはほとんどありません。課題に直面すると、そのときどき、よりよい答えを見つけようとしていろいろ考え、想像をめぐらせて答えを出そうといたします。経験や知識がたくさんあればあるほど、よりよい解決ができるはずです。


日本の学校文化では、暗記能力が大事にされてきました。日本の子どもたちは、目の前のグラフを読み取ったり、日本は将来どんな事態になるだろうかを想像して問題を解決したりするようなタイプの試験問題を経験しておりません。学校では知識の定着を測定するタイプの試験、いわゆるアチーブメントテストが圧倒的に多いのです。入学試験がその典型です。しかしOECD(経済協力開発機構)が義務教育終了時に、各国6千名に対して実施したPISA調査では、日本の高校生は惨憺たる成績で、アジアで最下位でした。


PISA調査は拡散的思考力、いわゆる想像力を測定しているわけですが、これが日本の高校生にとっては馴染みがなく、残念なことに文章題には白紙答案が多かったのです。


5)類推―知識獲得の手段
私たちは類推を働かせて、自分がよく知っていることに関係づけて新しい情報を取り込んでいます。たとえば、海岸でウニを見つけた2歳児は「ボール」と呼んでウニを指差しました。それを聞いた母親は、「ボールみたいね、ウニって言うの」と説明します。次にウニを見つけたその子は、「あ、ウニ、ウニあった」と知らせます。このやり取りがウニという名前を覚えるきっかけになっているわけです。こうやって、新しい情報は、自分の知識や体験に関係づけることによって取り込み知識を増やしていくのです。


子どもたちの発話には類推が働いている例がたくさんあります。


三歳の男の子が夕焼け空を見ながら帰ってきました。窓を開けたら満月が見えた瞬間に男の子は、『ゆうやけこあけのかたまりだ!』と夕焼け空と目の前の月を結びつけたのです。四歳の女の子は空を見上げて、「雲ってふしぎだな、だれがつくっているのかな」と思っていました。その女の子が大きな工場の煙突からもくもくと立ち上る煙を見た瞬間、『ここで雲をつくってたのか!』と叫びました。五歳の男の子は『おかあさんはおばあちゃんから生まれたんでしょ。じゃあ、お父さんはおじいちゃんから生まれたの?』と母親に質問しました。よく知っていることと知らないことを関係づけて未知の事がらを知ろうとしていることがわかる発話です。お通夜の席で、白黒の幕をみた六歳の女の子は『パンダはおめでたくない動物なんだね、きっと』と母親の耳にささやいたのです。

(全労済編『最近子供がふともらしたいとおしい"ひと言"は?』河出書房新社 1998より)


このように、子どもたちの発話から、子どもたちは類推を働かせ知識を獲得したり問題を解決していることが推測できます。


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