子どもの不思議を観察することから生まれるインタフェースデザインの提案
佐藤朝美(東京大学大学院 学際情報学府)
子どもは大人のような既成概念があまり出来ていない分、プリミティブで、一見突拍子も無いような行動をします。しかし、そこには人間が本来持っている特性のようなものが現れ、私たちに新たな発見をさせてくれます。そのような子どもの不思議な行動を分析することで、優れたインタフェースデザインを提案するヒントを得ることができます。その実例として、私が武蔵野美術大学のゼミで体験したインタフェースデザインの一連のプロセスをご紹介したいと思います。ここでは、幼児の「ばら撒く・散らかす」といった行動の不思議を分析することから、検索性、繰り返しの要素を抽出し、その要素を備えたカードというインタフェースに着目しました。そして、カードをインタフェースとして用い、その内容をパソコン上に展開するソフトウェアを作成しました。その研究では、幼児だけに留まらず、ストレスの少ないインタフェースの可能性も提案しています。子どもの不思議は、複雑で情報に溢れた社会を解決する可能性をも秘めていると思います。
1.はじめに
子どもを育てる中で、つくづく嫌になるのが、「散らかす」行為である。
特に2歳前後の子どもは、歩行により自ら行き来できる場所が広範囲に広がり、嬉々としてあちらこちらに行っては、その場所にあるものを根こそぎ出し尽くす。本棚の本、テレビ台の下のビデオ、キッチン台の下の鍋等々。モノに埋もれてもなんのその、夢中になって、出した物で遊びだす。「親が片付ける」行為と「子どもが散らかす」行為との、根競べ、まさに競争になっている感もある。
もちろん、これらの行為は、好奇心や意欲を育てるために、子どもにとっても重要で大切な段階であることは事実である。子どもは、色々なことを発見し、モノを把握し、そこから好奇心も満たされ、徐々に意味のある行動をするよう成長していく。
私は幸運にも、この2歳児を育てている時期に、武蔵野美術大学においてインタフェースデザインを研究するゼミに所属していた。そのゼミにおいて私は、子どもの行動を観察することでインタフェースデザインのヒントを得るという体験をした。以下に、このゼミにおける一連の取り組みのプロセスを述べたいと思う。
2.子どもの不思議とインタフェースデザイン
インタフェースとは、「二つのものの間に立って、情報のやり取りを仲介するもの、またその規格(IT用語辞典より)」である。近年では、ユーザインタフェース、機械、特にコンピュータとその機械の利用者(通常は人間)の間での情報をやりとりするためのインタフェースが注目されている。そのデザインは、私たちの日々の行為に影響を与える重要なデザインであるといえる。電気のスイッチ、電化製品の操作、コンピュータへの入力等、振り返ると、日々の何気ない行動がそれらのデザインから大変影響を受けていることが分かる。
ユーザーの立場から見ると、それらのデザインで大切なことは、「見ただけで、どういう操作ができるかわかるようにデザインすること」である。優れたインタフェースというものは、操作による動きが自然な動作であることが前提である。では、正しい操作へのアフォーダンスがあり、自然な動きを促すインタフェースをデザインしていくためには、どうしたら良いのであろうか。
それは、人の動きを観察することから始まる。例えば携帯電話のインタフェースをデザインする場合、とかく、我々美大生は、今までに見たことも無いようなスタイリッシュで格好いいデザインをしてみたいという欲求からスタートすることになりがちである。しかし、若者が携帯電話を使う姿から連想し、さらに、スタイリッシュで複雑な機能を追加していくということからは、なかなか優れたインタフェースは生まれない。現状の携帯電話は既に人が作った人工物であり、それらを使用している人間の動作を観察することからは、人間が本来持っている自然な動きを読み取ることは出来ない。むしろ、携帯を離れて、話す行為、記録する行為、無心で何かをしている行為を観察することからこそ、人間本来の自然な動きを観ることができるのであり、そこからインタフェースを考えていく必要がある。
特に、子どもの動作には、デザインのヒントが豊潤に隠されているといえる。一見、非合理的に見える子どもの動きは、多様な機器のインタラクティブな経験が少ない分、本来人間が持っているプリミティブな動きであると言える。発達途中の未成熟な動作であることは確かであるが、本能的に振る舞ってしまう行為の中には、人間が本来持っている特質のような振る舞いが含まれる。それらの動作を注意深く観察し、ひとつひとつ丁寧に紐解いていくことで、優れたインタフェースデザインの可能性が見えてくるのである。
3. 子どもの不思議な行動の観察と分析
そこで私は、冒頭に記述したような、当時2歳児であった息子の「散らかす・ばら撒く」という動作とじっくり向き合い、観察することにした。子どもの周りに身近なレゴブロックや積み木、プラレールなどのオモチャが箱に詰め込まれている場合、子どもは、まず、箱をひっくり返すことが多い。片付けの事など気にせず、思いっきりひっくり返すことは、とても気持ちの良い行為なのであろう。ひっくり返せば、底にあったお気に入りの電車を楽々取り出すことも出来る。例えばTalkingCard(*)のような子どもの知育玩具によくあるカードとリーダーの組み合わせで遊ぶ際にも、何十枚というカードを床一杯に広げるのが常である。その"ばら撒く"という行為をさらに観察すると、そこから自分の好きなカードを選び出していくという必然的な行為が続く。
《検索性》
つまり、オモチャ箱をひっくり返すのは、純粋に気持ちが良いという感覚に加え、中にどんなものがあるのかという全体を確かめる意図のある行為ではないかと考えられる。TalkingCardであれば、何十枚もあるカードをまずはばら撒き、全体を眺め、どんなカードがあるのかを把握する。そこから自分の好きなカードを選び出していく。そして、選んだカードをリーダーに通すことで、様々な音を経験し、自分のお気に入りのカードを見つけていく。
全体を把握し、目の前にあるのものから好きなものを選び、飽きたらまた別なものをすぐ選ぶ、こういった特性は、子供だけでなく大人の世界にも見られる。バーゲン会場でのワゴンセールなどは、ばら撒きこそしないが、必死で底にあるものをひっくり返し、あるものを把握してから選び取ろうとする。ひっくり返しながらお気に入りのモノが見つかった際の感覚は、達成感というものなのか何とも嬉しい気分になる。
このことはバーチャルな情報空間でも同じくあてはまる。情報で溢れている現代においては、情報の全体を見ることは大変難しいが、特定のモノだけ見させられては、逆にストレスを感じてしまうことがある。例えば学習ソフトなどで、コンテンツが豊富な場合は、まずは、概観・全体を見ながら、時には目的とは関係のないモノとの偶然の出会いを楽しみ、検索していきたいという欲求がある。全体が見えないまま、順次に決められたコースをこなしていくというのではどことなく違和感を覚える。
《繰り返しのできるインタラクティブ性》
また、これらの観察を通して見えてきた子どもの行動の特徴には、気に入った物は飽きずに何度でも繰り返すといった点も挙げられる。子育て経験のある方なら、子どもの飽くなき欲求に応えきれないという苦い経験があるのではないだろうか。例えば「いないいないばぁ。」などの単調な遊びを何度でもせがまれたり、短い内容の絵本も飽きもせず、繰り返し読んでほしいとせがまれたりする。こうした繰り返しの欲求に、TalkingCardという玩具は容易に応えてくれた。自分で選び、何度でもリーダーに通せばいいのだ。
大人は、子どもほど、同じ物を繰り返し行いたいという欲求は多くないかもしれないが、インタラクティブに自分の欲する情報をコンピュータが提供してくれるという形態が自然であると考える。
2歳児の子どもの観察から、散らかすという行為が、実は検索性や繰り返しのインタラクティブな操作につながる重要な行為であることを把握した。それは、子どもだけに限ったことではない。全体を一覧することから検索し、インタラクティブに操作できるということは、人として自然な操作方法である。このことはさらに、インタフェースとしての基本的な要素にまでつながる。そして、TalkingCardを利用する子どもの観察からは、このカードというインタフェースが検索性に優れており、繰り返しのインタラクティブ性の要素を兼ね備えていることも理解することができた。
4. 分析要素から提案する新しいシステム
さらにTalkingCardの観察においては、組み合わせという要素を抽出することが出来た。TalkingCardを繰り返すうちに、子どもはカードの音と絵の組み合わせを覚えてしまう。絵を見ただけで、どんな音が出てくるのか記憶するのである。お気に入りの複数のカードを束ねて手元に置いてみたり、時には縦に並べてみたりしながら、組み合わせのカードをリーダーに通していくという展開となる。
「検索性」、「繰り返しのできるインタラクティブ性」、「組み合わせ」というこれらの分析結果をもとに、私は、カードというインタフェースがコンピュータのインタフェースにも適しているのではないかと考えた。そして、コンピュータ上に、子どもが動画や音を自由に組み合わせて表示することができるコンテンツを作成することにした。
入力デバイスには、バーコードリーダーを接続した。カードにイラストとバーコードを印刷し、パソコンに接続したバーコードリーダーに読み込ませることで、パソコン上に効果音やBGM、動画が流れ出す。パソコン上の動画や静止画は次々に重ねて表示していくことが可能である。昼の空の上に駅を表示し、そこに汽車が走ってくるという動きを楽しむことができる。また効果音やBGMについても同時に3つの音を重ねて出せるようにした。楽しいBGM音楽を流し、そこに汽車がポーっと音を出しながら走ってきて、駅に到着すると踏み切りの音がカンカンカンと流れる、といった具合である。子どもがカードを入力することによってインタラクティブに絵が表示されたり動き出したりして、さらには音楽も流れ出すのである。
このようなコンテンツは、子どもの想像力により無限の展開が可能である。また、コンテンツのバリエーションを豊富にすることにより、ストーリー展開の可能性もさらに広がっていく。子どもは、手に持って触れるカードという媒体から、好みのカードを検索し、何度でも繰り返しコンピュータと音や動画の組み合わせで創造的に遊ぶことができるのである。
また、カードのイラストが検索キーとなり、パソコン上のイラストや動画、音となっていることは、既存のTalkingCardより知育の優位性を感じることができた。例えば、「汽車」の絵が描かれたカードではなく、「汽車」の漢字が書かれたカードを準備する。初めは「汽車」という字が何を意味するのか分からなかった子どもが、一度そのカードを入力するとパソコンの画面に汽車が走ってくる。このことは、「汽車」という漢字が汽車を意味するのだということを容易に子どもに伝えることができるのである。
私はこのインタフェースデザインを研究するゼミでの一連の作業を通して、インタフェースの良し悪しは、見た目のカッコよさではなく、人間の特質を捉えているか否かで決まってくるということを学んだ。その優れたインタフェースをデザインするために、子どもの不思議を注意深く観察し、紐解いていくという方法があることも学んだ。そこから出た要素は子どもだけでなく、普遍ともいえる人の特質を捉えるものであり、子どもの不思議には、複雑で情報に溢れた社会を暮らしやすくするためのヒントが秘められていると感じた。
このゼミにおいて私は、TalkingCardの延長線で、子どものためのパソコン用インタフェースとそのコンテンツを開発したが、この一連のプロセスと分析結果から得た要素は、様々な応用の可能性があると考えている。例えば、個人差、さらには個々の障害に配慮したアクセスビリティの高いデザインに期待が集まっているが、このようなデザインを行う際にも、対象者を徹底的に観察するというプロセスは重要であると考える。また、こうした観察を深めていくことで、幼児だけでなく高齢者など、マウスやキーボード入力に困難を感じる層と情報社会とのかかわりをデザインしていくことも可能だろう。
5. 子どもの不思議とこれから
子どもの不思議な行動は、母親の負担を増やし、時に辛いと感じる場面もあるが、私の場合はこれまで述べてきたような視点を持つことで、大変興味深く感じることができるようになった。現在私は、学習環境デザインを研究する研究室に所属している。子どもの真の学びを育むためのコンピュータはどのようにあるべきかについて考えるようになりながら、依然として子どもの不思議な行動に対する興味は続いている。例えば、ティッシュ箱を前にするとティッシュが無くなるまで取ってしまったり、ミニカーをひたすら一列に並べたりなど、不思議な行動は、まだまだ他にも沢山ある。これらの行為の観察からヒントを得て、子どもとコンピュータをつなぐ自然なインタフェースのあり方を考えつつ、子どもとコンピュータとのより良い関係、真の学びを育むような環境を提案していきたいと思う。
様々なイラストが描かれ、さらに磁気テープによって音も記憶されているカードを機器に通すことによって音を再生できる、オーディオビジュアルカードである。
子供は好きなイラストのカードを選び、機器に通して音を再生して遊ぶ。
カードの種類には、英語のあいさつ、英語のライム、 わらべうた、俳句、漢字、絵描き歌、乗り物、数字、 波線などの絵がある。対象年齢は1歳~5歳ぐらいである。
英語教材としてのおなじような機能のついた教材が他のメーカから多数出されている。
参考URL
http://dipale.musabi.ac.jp/s/s-id/ids0103/index.html
参考文献
D.A.ノーマン. (1990). 誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論, 新曜社認知科学選書