箱から生まれる私の子ども学~ダンボール箱を見つけると入りたがる子どもたち―どうして?~

戻るチャイルド・サイエンス懸賞エッセイ<2005年度 受賞者>

松本亮子(ウィリアムアンドメアリー大学,
MA in Education,School Psychology and Counseling Education)

要旨
 留学先の実習機関である幼稚園で子どもを見ているうちに、日本の子どももアメリカの子どもも箱遊びが好きだということに気が付き、遊び方も似ていることから、なぜ子ども達は箱で遊ぶのが好きなのかと考え始めました。このエッセイでは子どもの発達におけるニーズと箱という遊びのツールがどのようにマッチしているのか、発達心理学の観点から考察を試み、未来の幼児教育へのヒントを探ります。

はじめに

 子どもは箱が好きだ。留学中に行った教育実習で幼稚園に行った時のことだが、空のダンボール箱を前にした子どもたちは喜び勇んでかけより中に入って遊び始めた。そのうち箱を並べてバスを作り、バスごっこを始めた。
 テクノロジーの普及に伴って子どもの玩具離れという言葉を聞くが、その光景はそんな大人の心配を吹き飛ばすかのようだった。玩具離れどころか、ダンボール箱を玩具代わりにして遊ぶ子ども達に、遊びの本能のようなものを感じた。
 箱遊びという活動を見ていて、筆者は子ども学の世界へ引き込まれてしまった。このエッセイでは発達学的観点から基本的な先行研究を押さえ、箱と子どもの関係を探りながら遊びの有効性について考えたい。


1.狭所が好き:子どもはインフォメーションシーカーだ

 大きな箱を見るとまず子どもは中に入ってみたくなる―このことに頷く保育者は多い。よく考えてみると、子どもが入りたがるのはダンボール箱だけではない。洗濯物かご、玩具箱(おもちゃよりも時に魅力的らしい)、押入れの中やクローゼットの中など、自分が入れるほどのスペースを見つけると、なぜか入りたがるのが子どもである。
 これをフロイトのいう精神分析学的観点から説明すると、狭い所に入りたがるのは胎内回帰願望だという。つまり、狭い所に身を置くとまるで母親の胎内にいるかのような感覚を思い出し安心できるという説であるが、筆者は子どもは未来へ向かう生き物であると捉えているため、この"回帰"説はひとまず置いておく。では他にどのようなことが考えられるか。
 よく知られる赤ん坊の行動として唇や口のまわりに何かが触れると吸い付いてくる吸引反射がある。これは産まれた時から脳にプログラムされている反射であり、それがあるからこそ授乳がうまくいく、いわば生存のための本能である。赤ん坊はまず口を使って、身の周りの物の大きさや形、温度、質、味などを探索している。赤ん坊にとって口は世界を知るための最初の窓口であり、最初のラーニングツールと言える。一方、手には把握反射という、手のひらに触れたものをぎゅっと握り返す反射行動がある。発達に伴い、口と手は結合していくと考えられ(Thelen, 2001)、その証拠として、視覚でとらえた物を手でつかみ、それを口に持って行って調べる行動があげられる。1歳前後の子どもが何でも口に入れたがるのはそのためである。手や腕の運動機能の発達が進むと、この行動は減少していく。つまり、ラーニングツールは子どもの発達につれ口から手へと移行していると考えられる。
 さて、赤ん坊が生まれながらの学習者であることを考えると、ダンボール箱などに入りたがる行動は、子どもが本来持つ能動的な情報収集活動、つまりインフォメーションシーカー(小林,1997)としての行動であると説明がつく。ラーニングツールは口から手へ、手から次第に体全体へと広がっていくのではないだろうか。箱を見た時に、子どもの中で何かが動機付けられ、手と体で調べたい、確かめたい、知覚したいという本能が働いた結果として、箱に入るという行動が起こると筆者は考える。


2. 秘密の空間が好き:ダンボール箱は無限の可能性

 情報を収集する対象であるからには、ダンボール箱は子どもにとって探索を動機付ける要素を持っていなければならない。ここでは箱がどのように子ども達にとって魅力的なのか考えてみる。子どもが出会う玩具といえば積み木、人形、ミニカー、ねんど、レゴ、ままごと道具、などが一般的である。どれも子どもの五感や創造力を刺激する魅力的な玩具だが、ダンボール箱にはそれらの玩具にはない魅力がある。それは3次元の空間である。
 空間を与える遊び場として、ダンボール箱の他に、秘密基地やテントなどが思い当たる。例えば子どもはキャンプ用のテントや秘密基地に大喜びするし、別の例だが、5歳の幼稚園児と床に座って頭からシーツをかぶり中から懐中電灯を照らしながら話した時など子どもは大喜びだった。子どもは自分サイズの空間が大好きで、そこに秘密っぽい要素が加わるとなお喜ぶようだ。また幼稚園にはダンボール箱をびっくり箱(中に入って突然飛び出す)のようにして遊ぶいたずら好きな子どももいた。空間という遊び道具はなぜ子どもの心を躍らせるのだろうか。
 発達心理学者のエリクソン(Erikson, 1950)が分けた人間の8つの発達段階によると、3~5歳の子どもは「自発性対罪悪感」の段階を経験している。その前の「自律性対恥」段階において徐々に親から独立した一個人である自分に気が付き始めた子どもは、自分で考えて自分で行動したがるようになる。それとともに、いたずらや好奇心の強さが増してくる。ダンボール箱をびっくり箱や家、秘密の基地と見なして遊び始めるのはちょうどその頃である。ダンボール箱で仕切られる自分サイズの空間や、基地として見立てるなどの遊びはまさにその頃の子どもの欲求を叶える例であるといえる。3歳以上の子どもにとって、自発性を促す空間を得られるダンボール箱は魅力的な玩具であり、1つの箱から広がる想像力に子どもは胸を躍らせるのだ。


3. ごっこ遊びとの関わり:自発的に遊び、自然に学ぶ

 ダンボール箱を用いて子ども達はどんなふうに遊ぶのか、さらに詳しく分析してみたい。子どもにとって箱は箱でありながら箱ではない。ある物や自分を他の対象に見立てる行為は「ごっこ遊び」に分類され、子どもの認知的、社会的発達にとって非常に意味があり、多くの研究がなされている。
 子どもの発達にとって遊びは重要な位置を占める。ピアジェ(1962)によれば、ごっこ遊びは前操作期(2~7歳)に入ると現れ、身の周りにある物を別の物に見立てることから始まる。ダンボール箱を用いたごっこ遊びは1人でも成立するので、例えば3歳の子どもは1人で箱に入り「ブーン」と言いながら遊んだりする。これは箱を乗り物に見立てて遊んでいるのだ。この子どもは箱の中に枕を敷き、カーシート付きの車に見立てていた。ごっこ遊びはさらにおままごとに見られるように他者を交えた遊びに発展し、具体操作期(7歳ごろ)に入る頃には徐々に減少するとピアジェは考えている。
 ヴィゴツキー(1978)は、遊びは子どもの認知的、情緒的、社会的発達に貢献すると信じた。ピアジェとヴィゴツキーの考え方の決定的な違いは、前者は子どもの認知的発達は個人の内側で起こる知識の体系化に完結するとしたのに対して、後者は子どもの発達は常に社会との関わりのなかで育まれることを強調した点にある。つまりヴィゴツキーは、子どもは社会的すなわち外的なものを内的な自己の認知体系に取り入れる相互作用を通してこそ発達すると考えた。ヴィゴツキーは遊びの中でも特に「ごっこ遊び」に注目したが、それはごっこ遊びこそ認知、情緒、社会的発達を促す高次な遊びだと考えたからである。
 考えてみればごっこ遊びは子どもにとって高度な精神活動を要する遊びである。冒頭に述べた幼稚園児たちのダンボール箱を用いたバスごっこを例に挙げよう。箱をバスに見立てた子ども達、次はバスを運転するドライバー役と乗客役が必要だ。当然、ドライバーという社会的役割を認知していなければこの「ごっこ遊び」は成り立たず、ドライバーは1人であるという事実や、ドライバーは先頭に乗っているという事実などが共有の社会的知識として必要である。この時ドライバー役に複数の希望者が出たが、自分たちで交渉して誰がやるかを決めていた。1台のバスにドライバーが2人いるのはおかしいという社会的事実に子ども達は気が付いていているのだ。もとい、そのようなことに気が付いていない場合でも、
A: 「僕ドライバーやる」
B: 「じゃあ僕もドライバーね」
C: 「だめよ、ドライバーは1人よ」
などというように、そうか、ドライバーは1人なんだ、とBは遊びを通して自分の認知していた世界を他者に合わせて調整することができる。このようなやりとりに見られる交渉や調整活動が高度な精神活動を要する所以である。3歳ぐらいの子どもが、物だけにフォーカスして他者との関わりなしにごっこ遊びを楽しむのは外的な相互作用を通じて自分の世界を調整する準備ができていないからである(Iwanaga, 1973)。4~5歳になれば、他者との関わりを持ちながら、自分が見てきた世界を「ごっこ」に投じる。ごっこ遊びは子ども達にとって、他者との相互的な関わりをを通してあらゆる可能性を試す機会を与えてくれる理想的な学びの場だ(Leslie, 1987)。
 子ども達はダンボール箱を見て、その空間に動機付けられ、探索したいという本能が働き、車や家に見立てるなど無限の想像力をかきたてられる。そして自発的にごっこ遊びを始める。最初は一人で、しだいに他者を交えて。本能的な遊びであるが、Leslie(1987)の言うようにそれが学びの場だとするならば、やはり子どもは生まれながらの学習者なのかと思わざるを得ない。ヴィゴツキーは遊んでいる時の子どもは限りなく最近接領域(注1)の上限へ向かっていると考えたがそれも頷ける。


4. 大人の視点からみたダンボール箱遊びの利点

 最後に大人の視点からダンボール箱遊びの有効性について述べたい。すでに述べてきたように、ダンボール箱にはもともとその空間と大きさ、そして子どもがごっこ遊びの演出に使用したくなるような魅力がある。ここで教育者的視点に立てば、ダンボール箱は造形遊びにも適している。切ったりつなぎ合わせたりすれば、子ども達はより魅力的な家や乗り物を工作することができるだろう。またその大きさという利点から、他の子どもの作業が見え、協力して作業をするなどして、子ども同士の関わりを促進する教材となるだろう。関わりの中で子どもは様々なことを学ぶ。子どもの創造性に任せてじっと見守ることも大切だが、私達大人は与えるものを与え、切り貼りや色塗りを教え、自然と関わり合いが生じるような学びの場を足組し提供していく必要がある。


5. まとめ

 ダンボール箱がいかに子どもにとって魅力的であるか述べた。発達段階に沿ってまとめると、2歳前後の子どもにとってはインフォメーションシーカーとしての本能が働き、3歳以降になると自律性、自発性の芽生えから、自分だけの陣地的な要素を与えてくれるダンボール箱の空間に動機付けられると共にそれを家や基地などに見立てるのが面白くなる。社会性が発達してくる4~5歳になると、他者を交えてのごっこ遊びが面白くなり、箱を使って様々な場面を演出してみたいと思うようになる。
 冒頭の幼稚園児たち、「運転手さん、このバスはどこへ行きますか?」と問いかけると、「遠く遠く!」という答えが返ってきた。「言葉を自由自在に操らない子どもにとって遊びは最もパワフルな表現ツール」と言われるが、子ども達は遊びを通して自分を表現しているのかもしれない。未来に向かう子どもに接する1人として、子どもが「なぜ今そうであるか」よりも「これからどんなふうになり得るか」にフォーカスし、子ども達のファンタジーや創造性をますます応援したい。


(注1)最近接領域
ヴィゴツキーは発達と学びの関係を最近接領域という概念を用いて説明した。彼は子どもの発達を点とは捉えず、幅のある領域という概念で捉えた。その領域の下方には、子どもが1人でできること、上方には保育者や自分より優れた人の助けがあってできることがあり、中間がグレイゾーンで最近接領域である。

References
小林登. (1997). 小林登文庫,子ども学事始め,インフォメーションシーカー.Retrieved July 10, 2005, from https://www.crn.or.jp/LIBRARY/KOBY/HAJIME/cbs0011.html
Erikson, E. H. (1950). Childhood and society. New York: W.W. Norton.
Iwanaga, M. (1973). Development of interpersonal play structures in 3, 4 and 5-year-old children. Journal of Research and Development in Education, 44, 96-140.
Leslie, A. M. (1987). Pretense and representation: The origin of "theory of mind." Psychological Review, 94, 412-426.
Piaget, J. (1962). Play, dreams, and imitation. New York: W.W. Norton.

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