第1回 「進化生物学から見た"子ども"と"思春期"」(3)

講 師:長谷川眞理子氏(総合研究大学院大学教授)
日 時:2013年5月12日(土)13:00~14:30
場 所:慶應義塾大学(三田キャンパス)南校舎6階、465番教室


質問:
おもしろいお話をたくさん、ありがとうございました。
人間の脳は体重の2%ですが、そこに行っている血流は全体の20%ということで、要するに脳は大食いです。赤ちゃんがなぜミルクを3時間置きに飲まなくてはいけないのかというと、これも脳が食っているわけで、エネルギーが必要だからです。ただ、脳の大きさでいうと、4~5歳で大人並みになるのに、思春期のスパートが来るのは12歳で、8年間のブランクがある。これはどう考えたらいいのでしょうか。

長谷川:
大きさだけでない脳の成長スケジュールと体の成長スケジュールを合わせて比べてみないとわからないですね。ただ、大ざっぱに言って、思春期スパートが類人猿になくて人間にあるのは、脳が大き過ぎるからだろう。そのトレードオフだろうと思います。

質問:
進化的に見ると、世話焼きばあちゃん、世話焼きじいちゃんになるのが人間の寿命が延びた理由でしょうか。

長谷川:
繁殖終了後の寿命については今、2つの仮説が知られています。 1つは、元気なおばあさんが子育てに関わると、子どもの生存率が上がるという考え。つまり、積極的に自分の繁殖をやめて余力を孫世代に向けたことがプラスであったという仮説が一つ。もう一つは、自分も子どもをつくってもいいんだけれども、下の世代の女の人とのコンペティションで、結局、上の世代がスイッチオフするほうが自分にとってのマイナスが少ないからという仮説もあります。どっちにしろ、上の世代が、子育ての助力の大いなる源泉であることは確かです。

いろいろな研究があって、おばあさんが生きている家族のほうが生きていない家族よりも初産年齢が低く、生涯の出産数が多い。おばあさんが遠くにいるのと近くにいるのとを比べると、近くにいるほうが初産年齢が低いし、生涯の出産数も高いという結果等もありまして、上の世代の助力というのが非常に大きな源泉であることは確かです。

質問:
以前の長谷川先生の発表で、異年齢の子どもを同時に育てるのは人間だけだという話があったような気がするのですが、ほかの霊長類でも異年齢の子どもを集団の中で育てるような動物はいるのでしょうか。また、動物の群れと人間の共同体の違いがもし何かあるようでしたら、お願いします。

長谷川:
異年齢が集団で一緒にいるというのは、人間だけではないのですが、違うところは、チンパンジーのお母さんがエサを与えているのは赤ちゃんだけだということです。上の子どもは全部、自分で食べている。一緒にいますし、一緒に遊んだりはしているんだけれども、食べるということに関しては、上の子は独立している。哺乳類は、上の子がまだ食べられないのに次の子を産むということはないのです。食べるという基本的なことにおいて、独立していない子どもがいっぱいいるというのは人間だけです。

あと集団の違いですが、ヌーなどのアフリカの有蹄類の群れなどは、別に個体間の社会関係が密接にあるわけではなくて、捕食者から逃れるために、みんな一緒にいるというだけです。一方、霊長類などはそうではなくて、お互いに個体識別し合って社会関係を認識していて、社会関係に濃淡があって、競争と協力が複雑に絡まっているわけです。

たとえば、狩猟採集民の男性が必要とするカロリーを考えると、小さい頃はあまり要らなくて、大人になるにしたがって1日3千何百キロカロリーほどまで増えて、年をとると減ります。それに対して、狩猟採集民の男性が採ってくる食料エネルギーはどうかというと、初めは何も採ってこれないが、やがてすごく採るようになる。そして、60歳を過ぎると自分の食べる分も採ってこられなくなる。つまり、壮年時代に余剰生産があるんです。一緒に暮らしている血縁、非血縁を含めたみんなにあげることができる食料獲得をやっているわけです。

一方、チンパンジーは、赤ちゃんのときにお母さんにもらっている時代以外は全部、食べる量と採ってくる量が一致しているんです。チンパンジーの壮年のオス、15歳から35歳ぐらいまでは、ものすごく力が強いので、採ろうと思えばたくさん採れるはずなんですけど、自分の食べる分しか採ってこない。余剰エネルギーは何に使っているかというと、ケンカして足を引っ張り合うことに使っているのです(笑)。これが人間の共同体とほかの動物の群れの基本的な違い。一部のアリなどの社会性昆虫などを除いて、すべての動物は、1人で食べているんです。

なお、ヒトの女性はどうかというと、余剰生産が出るのは閉経後。ただ、自分の体重の何倍もの水と薪を背中に乗せて運んでいて、それはカロリーとしては計算できないけれども、その生産というのはあるわけです。

質問:
今日のお話で、ヒトについては狩猟採集民が例に取り上げられていたんですけれども、現代の社会に生きている我々自身のことを考えてみますと、若者という時期は、思春期以降も長く続くものじゃないかと思うのです。端的に言うと、結婚の時期がどんどん遅くなっている。その分、1人で、しかも生産活動に参加しないで生きているのが結構長いというあたりは、どう考えられるでしょうか。

長谷川:
私は人類学出身なので、ヒトの進化史を考えるわけです。そうすると、ヒトの体とか脳のあり方が、基本的につくられたときの状況はどうで、どういうベースラインでヒトになるのかということを研究する。そうすると大体最近の200万年と、特に直近の20万年の話になるわけですよね。その歴史のうち95%は狩猟採集生活をして暮らしてきたわけで、1万年前にさかのぼれば、狩猟採集民だったのですから、ヒトの基本ラインは狩猟採集生活の適応環境だろうと考えるわけです。それをベースラインとすると、現代の社会で起こっていることがいろんな逸脱であることがわかるはずです。

狩猟採集民にとって、一人前になるというのは大変なんです。狩猟の技術とか知識、それから社会の一員として社会交渉ができるとか、隣の集団との敵対関係をどうやって調整するかとか、そういうことがよくわかるようになるのはやっぱり30歳なんですって。狩猟技術だけでも習熟するのには少なくとも20年かかる。多くの狩猟採集民の男が結婚するのは20歳以上になってからです。牧畜民になるとまたちょっと変わり、30歳以上になって、結婚年齢というのは決して若くないです。それから、女の人も、16歳ぐらいから子どもを産めるんだけれども、成長途上で産むと子どもの生存率が低くなったりするので、狩猟採集生活での初産は平均18歳ぐらいです。それでも、最初の子どもは死ぬことが多いです。

女の人をものすごく若いときに結婚させて、子どもを産ませたり、1人の女の人が10人も子どもを産んだりするのは、農耕社会のヒエラルキーの社会になって、男側の最適値が優先される社会状況になったときだと思います。だから、女性の地位が向上すると、必ず子どもの数が減るんです。つまり、女性にとって子どもを持ちたい数の最適値は、男性にとって持ちたい最適値の半分以下なのだと思います。男が勝っている文化だと、女はたくさん産まされるんだけれども、女の人の権利が優先される社会になると、必ず女の最適化に近づいてくるから、少子化は必然的に起こる。5人も産むのは女にとっての最適値ではないと思います。

このように、少子化はある程度は説明できるんですけれども、ニートなどについては日本の固有の状況などもあって、なかなかわからないですね。社会経済的な要因で説明するというのは、社会学者がやっているけれども、進化生物学は、人間が生物学的に持っている何らかの意思決定メカニズム、脳の中で何が優先されて、何を心地よいと思うかということを考えるのが基本なので。

例えば人間は自分がいつ頃に繁殖終了になるかがわからないから、今はあまり状況がよくないのではないかという気がすると、繁殖を先延ばしするという意思決定をします。つまり現代社会では、もっと助力がないと、もっとお金がないと、もっと社会的地位が上がらないと繁殖できない...みたいに、まだダメという情報がずっと与えられるので、繁殖開始というスイッチがなかなか入らないんだと思うんですね。現在の社会が若者に与えている情報が、非常にバイアスがかかって、しかも昔備わった意思決定メカニズムには素直に入らない変数がいっぱい入ってきているので、繁殖を先延ばしにするという結果になっているんじゃないかと思います。

質問:
進化生物学的に見たベースラインについてですが、変わっていく余地があるとすると、どういうことがあるのか教えていただきたい。

長谷川:
生物進化は遺伝子の変化が起こってできることなので、今の社会の中で遺伝進化によって人間の組成が変わるためには、遺伝子の変化が広まるような何かが起きないといけない。たとえば、ヒトは遺伝的に昼間は起きて、夜は寝るような日周パターンが備わっていますが、それを変えられるかというと、そういう遺伝的な変異が出てこなければいけないし、そういう遺伝的変異が有利にならないといけない。しかし、1遺伝子なら1万年ぐらいあれば変わることはありますけれども、幾つもの遺伝子との関連があるから、急に突然変異で出てきたものが優位になって変わるなどということは、ほとんど起こらないと思うのです。

人間のベースラインは狩猟採集生活の20万年前あたりにできたもので、そこでつくられた体と脳の働きというのを100年ぐらいの技術文明が変えられるわけがない。自分たちが基本的にはどういう生き物かということを考えながら、社会制度設計をうまくしていくということで対処するしかないのではないかと思います。

司会:
狩猟採集民と現代人を比較すると、特に学校教育というものの位置づけが不思議だなと思っています。狩猟採集の頃は、異年齢の子どもたち同士で大人の文化を観察して、膨大な知識を取得していたのだと思いますが、現代社会のように、何を見ても何ができているかさっぱりわからないというところで子どもがどうやって生きていくか、ギャップをどういうふうに埋めるか。特に子どもの問題、子どもに与える大人の教育環境の設定ということに関して、とても興味深く難しい問題があると思います。その辺についてどうお考えですか。

長谷川:
今の子どもをめぐる状況は、すごく大変なことになっていると私も思います。近代国家による組織だった教育というのは、戦力としての国民をつくるためだから、字が読めて、計算ができて、何か言えば何かやってくれるような人間を大量生産するために、子どもを一定規格化する教育を持ち込んだということだと思います。それは人間が本来、何を学び、何を学び合って育っていくのかということではなくて、国家が国力を増強させるために何を教えるのが一番よいかということでつくられてきた教育プログラムです。

私はチンパンジーの研究をしているときに、半ば狩猟採集、半ば焼き畑農耕で生活しているトンゲという人々と一緒に暮らしていたんですけれども、トンゲの人たちで学校教育を受けていない人たちは、本当に五感がすごく優れているし、自然に対する知識がたくさんあります。だけど、若い世代で、学校に行くようになった世代は、そういうことはわかりません。だから、チンパンジーを見つけるトラッカーとして雇えるのは30歳以上の人です。30歳以下の子は体力もたくさんあるし、好きだから行きたいと言うんだけど、雇っても役に立たない。彼らより私の方が先にチンパンジーを見つけますから、全然ダメなんですよ(笑)。若い世代と上の世代を見て、習ったものが違うと世界の見方も全く違うのだと、本当に思いました。

その意味では、今の日本の学校教育は、学問の知識とか、特定の技術を操作することを習うということをやっているから、昔の子どもたちが上の子から下の子へと伝えていた、たとえば小さい子の面倒の見方であるとか、ケンカしたときの仲裁の仕方とか、そういうのもすごく減ってしまっているのでしょうね。私の小さい頃は、電車に乗ったらみんな、窓の外を必死で見ていましたが、今、窓の外を必死で見ている子どもなんていないですよ。ほとんどがゲームを見ている。そうすると、本当に観察しない。観察しないと、物についての直感力がなくなるから、すごく困ると思います。でも、そういう状況を止められない。どうしましょうね(笑)。

でも、京大の幸島さんだったと思うのですが、言っていましたが、自然観察教室で子どもたちを見ていると、最初はゲームがなくて、やることがなくてものすごく困ってブーブー言うんだけど、そのうち物を観察し始めるんだそうです。アリをじっと見るとか。子どもは本質的に好奇心があるから、物を観察するんですね。それを、いろんなつまらないおもちゃを与えるから、ダメな影響があるんですね(笑)。

質問:
先ほど女性の地位が上がってくると子どもの数が減るという話がありましたが、もっと減ったほうが本来の姿だということなのでしょうか(笑)。

長谷川:
そこを今、解明しようと、いろいろモデルをつくったりして研究しています。ヨーロッパでは18世紀ぐらいからフランスを筆頭に出生率が下がり始めて、途上国でも70年代から下がっています。何が影響したのかというと、女性の進学率であるとか、女性の社会的地位の向上が一番のカギで、経済状況などは間接的です。子どもを持つことに関して、夫の意思決定と同等か、またはそれ以上に妻の意思決定が反映されるようになると、かなり下がる。10人も産んでいたものから、5人とか3人にだんだん減っていく。そこはそれで説明できると思うんですね。

ただし、そこからもっと減ることに関しては、繁殖しようという意思決定のスイッチがオンにならないような情報がどんどん入っているんだと思います。まず、昔の女の人にとって自己投資をするなどというオプションはなかったわけですけど、今の女の人は自分をもっとよくしようということを選択できますよね。自己投資によりある程度までいって、自分がよくなったところで、本当は繁殖のスイッチが入るはずなんだけれども、それが起こらないような、たとえばサポートがないとできない、もっとお金がないと産めない、などの理由がどんどん続いてスイッチができない。また、35歳までに産むとかという線引きがわかっていると、ある程度の自己投資蓄積ができたところで、繁殖にスイッチできるんですけど、エンドがわからないとなるとスイッチできない。その状態をやめさせるためには、このぐらいでも繁殖できるとか、繁殖に変えることは楽しいことだというふうにスイッチを変えないとダメではないか。

もう一つは、狩猟採集民でも昔の日本でもそうなんですけれども、自己決定で相手を決めるなんてできないんですよ。よっぽどラッキーな人が恋に落ちない限り(笑)。狩猟採集民でもマッチメーカーがいて、誰と誰を結婚させなくちゃといって、それでみんな結婚するんですね。今、日本はすべての情報をさらして、自分で決めなさいと。そういう状態になると、この人でいいのか、もっといい人がいるのではないか、今決めてもっといい人が後から出てきたらどうしようみたいなことになると、エンドレスになる。そういう状況では意思決定はできないですよね。だから、ラッキーなカップルだけしか、うまく結ばれないというのはあるんじゃないかと思います。

質問:
私は、小児栄養を専門としておりますが、今、マクロビオティックなどがはやっていて、そこでは、高蛋白、高脂肪のものを小さいときからたくさんとり過ぎるから、体は大きいけど、脳の発達が十分でない子どもになるというような考え方があるんですけど、その辺の管理をどのようにすべきか、教えていただけますか。

長谷川:
狩猟採集民の離乳食のことを調べているのですが、あの子どもたちは栄養状態はいいんですけれども、カツカツだから、皮下脂肪はそんなにない。ただ彼らの離乳食は本当にすごい種類が多いんですよ。ところが、農耕社会というのは、安定したカロリーが供給できるようになったから、多産にもなるし、みんな生きるんだけど、栄養のバランスという点ではすごくまずくなったんですね。人間本来の形からすると、どの辺がちょうどいいかというのは私もわからなくて、そのうち調べたいと思います。

いま、全世界的に初潮が早くなっていますよね。ああいうのも、日周リズムが崩れて、夜までずっと明るいことによって、成長ホルモンのパルスが早く出るんだと思います。脳のいろんな配線だの何だのができないうちに性ホルモンがどんどん出るというところが、今の思春期の1つの大問題だと私は思っていて、今度の新学術領域では、その辺も観察しようと思っています。

司会:
ありがとうございました。もっともっと議論しなきゃいけないテーマというのがまだたくさん出てきそうなんですけれども、時間が来てしまいました。

子ども学会のカフェは今回を初回としまして、年2回か3回、いろんなテーマでやっていきたいと思っております。皆様のほうからも、こんな話が聞きたいというようなことがあったら、メールでも結構ですので、ご意見をいただければと思います。

今日は本当に重要でとてもおもしろい話をありがとうございました(拍手)。

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