子どもの不思議―「子どものつぶやき」にみる「うんち」ネタ―
米田恵子(主婦)
子どもはどうして「うんち」ネタが好きなのかという命題に対して、子どもが何気なく発した言葉に笑いを誘われる「子どものつぶやき」(朝日新聞月曜連載)を通して、迫ってみた。
まず、「子どものつぶやき」に見られる、「おしっこ」も含めた「うんち・おしっこ」ネタを取り挙げ紹介し、そこから、結論として、「笑い学」の立場から、「社会的・道徳的なものを笑う」という古典的な笑いの誘因の一つが関係しているということを得た。
しかし、これは、「笑い学」という1つの学問からの結論である。「子ども学」といういろいろな可能性を秘めた、全体を包括するような学問により、より深い研究がなされていくことを期待してやまない。
子どもは、「うんち」ネタが好きである。2・3歳の子どもで、挨拶代わりに何でも「うんち、うんち」という子もいれば、道路の真ん中にある犬の糞を取り囲んで、おもしろそうに突っついて、キャーキャー言っている幼稚園児たちも目にする。子どもと仲良くしようと思うと、「あっ、うんちもれてるよ」というと、とたんに子どもも笑い出し、仲良くなれるという大人も知っている。この「うんち」ネタは、公式の場では、タブーである。いつの頃からか、「うんち」ネタに、私たちは拒絶反応を示し始めるのか。自分たちも経験したことなのであるが、なぜ好きだったのかは、記憶がないし、分からない。分からないと言ってほおっておいては、学問としての進歩はない。学問の世界では、「うんち」は、「排泄物」や「排泄行動」と言い換えなくてはならないのであろうが、子ども学で、エッセイとはいえ、「うんち」を真正面にとりあげることができるのは、興味深いことである。この子どもの「うんち」ネタについて、何気なく発した子どもの言葉が笑いを誘う「子どものつぶやき」をテーマにしている私も、迫ってみたいと思う。
私が「笑い学」の対象として調べた「子どものつぶやき」(朝日新聞月曜連載)は、ジョークや落語・漫才・喜劇の台本のように、人を笑わせる意図をもって作られたものではなく、子どもの何気ない言動が笑いを誘う、人を笑わせようという意図のない、非意図的な笑いである。このような「子どものつぶやき」にも、もちろん「おしっこ」を含めた「うんち・おしっこ」ネタはあり、それらをもとに、なぜ、子どもはうんち・おしっこネタが好きなのかという大きな命題について考えてみたい。
まず、次のような「つぶやき」がある。
1.トイレに入って。「どうして、うんちしなきゃいけないのかな?昨日もしたのに・・・」(川崎市 加藤祐基・3歳)
「うんち」や「おしっこ」は生理現象であり、動物にとっては当たり前のことであるが、それについての子どもなりの疑問である。
また、次のようなつぶやきもある。
2.母に何回もトイレに行くように言われても、おしっこを我慢している。「そんなに何回も行って、おしっこがなくなっちゃったらどうするのよ」(埼玉県比企郡 水嶋瞭・4歳)
子どもはよくトイレのないところで急におしっこを言うものだから、親としては、ついつい行けるときに行っておきなさいと言ってしまう。反対に、子どもの側からみると、「うんち・おしっこ」は生理現象であり、止めたりはできないどうしようもないものであるが、それが知識としてないために起こる疑問である。
さらに、生理現象である「うんち・おしっこ」に対する次のような「つぶやき」がある。
3.トイレへ行きたそうで落ち着かない「トイレ行く?」「大丈夫。足が踊ってるだけ」(神奈川県茅ヶ崎市 三栗谷豪・3歳)
この場面はよく目にするものである。大人でも足踏みをしてしまうが、「足が踊っているだけ」というその言い訳がふるっている。
さらに、生理現象に関して次のような、大人も、そうそうそんなことがある、という「つぶやき」を挙げる。
4.トイレに入って五分以上でてこない。こっそりのぞくと、「ボチャン」と大きな音。「ヤッター、僕の勝ち!」(北九州市 池守成・3歳)
これは、私なども、便秘になって2,3日ぶりにお目にかかったとき、思わず「やったー」と言うときもある。しかし、大人の場合、勝ち負けまでは言わない。勝負に持ってきたところが笑いを誘う。
次に、一種の「ことば遊び」ともとれる「つぶやき」を紹介しよう。
5.JRが間違った運賃を記載していたニュースを見て「ママ、大変!JRがうんちをのせすぎたって!」(東京都品川区 森響平・4歳)
これは、「運賃(うんちん)」と「うんち」という類似音の取り違えであり、この「つぶやき」は私の子どもも経験したことである。我が子が3才くらいのとき、バスに乗っていて「運賃は運賃箱へお入れください」というアナウンスを聞いて、スピーカーの方を指さして、にたっと笑った思い出がある。我が子はにたっと笑っただけで、「うんちをのせすぎた」とは言わなかったので、「つぶやき」にはならず、投稿できなかった。
6.おむつが取れたばかりのころ。仕事に出る父を見送りながら「おちっこ(おしっこ)とおちごと(お仕事)ってちょっと似てるねえ」。(神奈川県相模原市 輪島直彦・2歳)
これも、「おちっこ」と「おちごと」の類似音の取り違えである。この子どもは、おむつが取れたばかりのころ、とあるので、いわゆるトイレトレーニングが終わった子どもである。トイレトレーニングでは、「おしっこ」と言えるようになることが、子どもにとっての最大の「お仕事」であることを考えると、この「つぶやき」は奥が深い。
さらに、「子どものつぶやき」には、下のようなトイレトレーニングに関する「つぶやき」もある。
7.トイレトレーニング中の僕。「ママ、うんちの声がきこえてくるよ!」(神奈川県相模原市 千葉啓太郎・2歳)
「うんち」が出そうになったときの状態、まさに便意を催したときの状態を擬人法で表現している「つぶやき」であり、それが笑いを誘う。
さらに、同じくトイレトレーニングに関して、次のような「つぶやき」もある。
8.トイレトレーニング中。「ママ、どうしておとなはトイレに行くとき『おしっこ』っていわないの?」(仙台市 根子あすか・2歳)
上の2つの例は、「うんち・おしっこ」を大人に言うことから始まるトイレトレーニングの基本から生まれた「つぶやき」である。2歳ごろから子どもは、いつでもどこでも好き勝手に、いわば垂れ流し状態であったのが、まず、「うんち・おしっこ」を意識化し、トイレへ行くというトイレトレーニングが始まる。これは、1つの社会生活の始まりであり、しつけとも言われるものであろう。しかし、このトイレトレーニングというのは、親にとっても子どもにとっても、一大試練である。親は、とにかくその時期が来ると必死になって、おむつをはずそうと、うんちやおしっこが言えるように子どもをしつける。失敗が続くと、親は、ついついお尻をぴしゃりとやってしまう(私の経験から)。いつまでもおむつが取れないと、早くおむつが取れた子と比べて「どうして我が子は?」と無用に嘆いたりする。トイレトレーニングは、2・3歳の子どもにとっても、重要な発達課題であるが、過ぎてしまえば、トイレでうんちやおしっこをするのは当たり前のことであり、お漏らしをしたことも、そして怒られたことも忘れてしまう。
以上が、「子どものつぶやき」に出てくる「うんち・おしっこ」ネタである。ここから分かったことを挙げて、子どもはどうして「うんち・おしっこ」ネタが好きなのかという大きな命題に少しでも迫ってみることにする。
まず、第1に、「子どものつぶやき」に見られたのは、生理現象に対する素朴な疑問である。「うんち・おしっこ」は、毎日するもの、我慢しようと思えばがまんできる生理現象であるが、この生理現象そのものに対する疑問から「つぶやき」は生まれている。大人になれば、あまりに日常化し当たり前のことなので、意識することはないが、子どもはそこに素朴な疑問をいだき、それが言葉になって発せられ、大人の笑いを誘う。
第2に、「うんち」と「運賃(うんちん)」、「おちっこ」と「おちごと」という類似音の取り違えであるが、これは、シャレ・ダジャレという「ことば遊び」にも発展するものである。
第3に、トイレトレーニングが重要な位置を占めているということが挙げられる。これは、子どもにとっても親にとっても避けて通れない大きな試練である。過ぎてしまえば、何でもないことであるが、その発達課題を達成するまでは、茨の道である。そのトレーニングの第一歩は、「うんち」や「おしっこ」を大人に知らせ、おまるやトイレに座らせることである。そして、排泄された物は、臭く、見た目にもきれいなものではない。「うんち・おしっこ」はタブーなものになる。子どもが、「うんち・おしっこ」ネタが好きなのは、このタブーな物、つまり社会的あるいは道徳的に禁じられていることを笑うという人間の笑いの本質にのっとった行為と考えられる。
ところで、「笑い学」では、笑いの誘因について、(1)ことばのズレ、(2)身振り・動作のズレ、(3)世間の常識や慣習とのズレが笑いを引き起こすと考えられている。「子どものつぶやき」には、(1)の「ことばのズレ」を楽しむということば遊びがあり、さらに、(3)の「世間の常識や慣習とのズレ」から起こる笑いもあるといえる。タブーである物をあえて顕在化させ、笑いを誘うという笑いの常套手段である。子どもの場合は、おどけ(あえて関西弁では、「おちょけ」)・ふざけである。しかし、少し考えてみれば、これは何も子どもだけでなく、18世紀のヨーロッパの初期のカリカチュアにはやたらと「とぐろを巻いたうんち」が登場するし、漫画の「アラレちゃん」でも、わけもなく「うんこちゃん」が出てくる。強いて言えば、大人も「うんち・おしっこ」ネタは好きなのである。ただ、それを口に出すと、その品性が疑われるので、しないだけなのである。
さて、どうして、子どもは「うんち」ネタが好きなのかについては、もう少し考察が必要であるが、上のような「笑い学」からのアプローチが可能であるといえる。もちろん従来の発達心理学からの研究もあろう。また、排泄器官の成熟などという観点から、医学からの研究も可能であろう。しかし、学者たちがバラバラにその研究をやっているのでは、全く変わらない。そこで、従来の枠組みを越え、今まで取り上げられてこなかったテーマをも認められるような「子ども学」の可能性を信じてやまない。
米田(2002)ことば遊びにおける笑い―言語学的観点から―、『笑い学研究』第9号
米田(2003)「子どものつぶやき」における笑いについての一考察―朝日新聞「あのね―子どものつぶやき」から―、 『笑い学研究』第10号
米田(2004)「子どものつぶやき」における笑い・その2―「つぶやき」の対象について―、『笑い学研究』第11号