わたしの考える「子ども学」~運動発達研究は「子ども学」の中心的な課題である
野田智洋(高知大学医学部体育学教室助手)
5歳になる我が家の長男を含めて、今の子どもたちは明らかに運動不足である。便利なものが溢れていて自ら動かなくても生活に困らない上に、様々な理由から外遊びの機会も減っている。小学生になれば受け入れてくれるスポーツクラブや団体は数多くあるが、一時も目を離せない幼児は、安全上の理由からも敬遠されているのが実情だろう。そのためか、毎晩寝かしつけるのに一苦労である。親の生活が夜型になっていることも理由のひとつだろうが、遊び疲れて泥のように眠る我が子にはなかなかお目にかかれない。保育園から帰れば、有り余るエネルギーを発散する相手も場所もないからである。
そんなことを考えていた折、NHKで放映された『教育フォーカス』は示唆に富む内容であった。「カラダの危機はココロの危機」(1)と題して、子どもたちの心身がおかれている危うい状況と、それを克服する試みがいくつか報告されていたのである。その中で紹介された松本短期大学の柳澤秋孝教授らは、保育園で子どもたちにとび箱や鉄棒を指導することによって園児の情緒安定にも効果を上げているそうだ。すなわち、様々な運動遊びを組み合わせた独自のプログラムを行わせることによって、園児たちの集中力が向上し、自分で感情をコントロールできるようになったというのである。教授らの研究グループによると、子どもの運動不足は心の働きを統合する大脳前頭葉の発達を阻害するため、状況に合わせて感情を制御する能力の低い子どもが増えているらしい。しかし、運動遊びをさせることによって普段使わない筋肉を動かし、彼らの前頭葉に刺激を与えることができるというわけである。
よじ登ったり、ぶら下がったり、あるいは手で支えて逆さまになったり、くるくる回ったり、このような非日常的な運動遊びが大脳前頭葉の発達を促すと考えられているのである。なるほど運動による様々な知覚刺激は、神経ネットワークを通じて脳へと送り返されている。身体各部の筋肉を使って運動を行うことは、多様な刺激を前頭葉へ送っていることに他ならない。スキャモンの発達曲線が示す通り、神経系は4歳ごろに大人の8割程度にまで発育し、10歳前後にほぼ成熟すると考えられている。この時期に単調な運動しかしなかった子どもと、多様で複雑な運動をした子どもとでは、神経系の発達に大きな差ができることは容易に想像がつく。実は運動というのは10歳まではココロのために、その後少しずつカラダのために役立っているのかもしれない。
外で遊ぶしかなかった世代には十分だった前頭葉への刺激が、今は意図的・計画的に指導されなければ不足してしまう。そんな時代なのだろう。だからこそ子どもたちにとって魅力的な運動遊びを、われわれは次の世代に伝える必要がある。跳び箱や鉄棒運動ばかりではない。大道芸などの巧技や、サーカスなどの技芸も子どもの心を惹きつける非日常的な運動を含んでいる。生きて行くためには全く必要ないように思われるこれらの運動が、実は健全なココロを育てるために不可欠な要因だったと考えられるのである。
ところで、神経系が発達する時期というのは、ヒトが他の動物とは比べものにならないほどの多様な運動能力を開花させる時期と重なる。この時期の子どもは、起きている時間のほとんどを運動の学習に費やしているともいえるのである。寝返りに始まり、這い這いができるようになり、少しずつ日常生活で必要とされる運動技能が習得されて行く。座ること、立つこと、歩くこと、食べること、書くこと。箸やスプーンなど、様々な道具を使いこなすこと。衣服の着替えやボタンをはめること、靴を履いたり脱いだりすること。これらの日常運動は毎日繰り返し練習して、身に付ける技能なのである。「這えば立て立てば歩めの親心」という言葉は、子どもの運動能力の発達こそ、この時期の親にとって最大の関心事であることを物語っている。ところがやがて、親の興味の対象は言葉の発達や知識の多寡へと徐々に移り、わが子が新しい運動技能を獲得したことに感動をおぼえる機会は少しずつ減って行く。そこで、多くの親が教育の専門家に期待することになるのだが、自ら子どもたちと外遊びに興じる運動の得意な保育士は、あまり多くはいないだろう。幼児教育の教員養成機関では、必ずしも運動の指導力を資格取得の条件とはしていないのである。かろうじて小学校の教員は「体育」を教えるための授業を受けることになってはいるが、9つもある教科のうちのひとつに過ぎない。しかも入学した時点で子どもたちの運動能力には、すでに大きな差がついており、年間90時間に削減された体育の授業時間だけで引き上げることは困難だ。したがって学齢期に達する前に、十分な運動の教育が行われなければならないのである。
一方で、カラダの危機はさらに深刻になっている。文部科学省が行っている「体力・運動能力調査」(2)によると、子どもの体力や運動能力は、昭和60年ごろから現在まで20年近くにわたって低下の傾向が続いているという。しかも、肥満傾向の子どもの割合が増加しており、将来の生活習慣病につながる恐れがあるともいわれている。確かに、絵本を読んでもらって感性を磨いたり、粘土やブロック遊びで創造性を豊かにすることも必要だろう。あるいは、楽器の演奏やお遊戯も身体を動かしていることには違いない。しかし、幼児期に必要とされる運動の種類やその量が不足して肥満傾向が強くなると厄介である。「運動不足-体重増加-疲れやすい-運動嫌い-運動不足」という悪循環に陥らせてはならない。一度このような状態になると、脱却するのは非常に困難である。30兆円を超えた国民医療費の総額(3)は、この子たちが高齢者になるころ一体いくらになってしまうのだろう。
2002年9月、中央教育審議会は「子どもの体力向上のための総合的な方策について」(4)を答申した。その中で、「幼児期は、体力を培う上で、非常に大切な時期であり、この時期に運動や遊びの中で十分に体を動かすことが必要である」と認めている。そして「特に幼稚園や小学校の教員については、子どもの発達段階に応じて、外遊びを促したり、体を動かす楽しさや喜びを体験させる指導ができるよう、実技研修などを充実することが求められる」と述べている。しかし、還暦を前にしての実技研修には辛いものがある。むしろ、少子化で供給過剰の中学校体育教員を社会教育主事として、幼稚園や保育所に派遣する方が効果的だろう。むろんスポーツ種目を教える必要はない。ただ、子どもたちがやりたいと思うような運動遊びを一緒にやってみせるだけで良い。模倣の対象として提示することが重要なのだ。昔なら父親や近所のお兄さんお姉さんが見せてくれた身のこなしを、「あこがれ」の対象として植え付けるのである。
中途半端な国の施策に頼っていては子どもたちが危ない。我が子は自分で守ってやるしかないだろう。そして、子どもたちに豊かなココロを育ませ、カラダの危機にも歯止めをかけるために、一体どんな運動をどのくらいさせたら良いのかについて、もっと研究しなければならない。実はまだ、柳澤教授が自ら考案された「運動保育援助プログラム」(5)(6)に、一定の効果が認められることくらいしか分かっていないのである。しかしこれには、ボールを投げたり捕ったりする運動や、スケート、竹馬などのようにバランスを取りながら移動する運動が含まれていない。そして、水中に潜ったり泳いだりする運動の効果も確かめられていないのだ。したがって、日常生活で使わない筋肉を刺激する運動遊びがすべて網羅されているとはいえないのである。
私の考える子ども学では、まず、それぞれの発達段階においてどんな運動遊びをどのくらいさせれば有効なのかを明らかにしなければならない。年齢や運動発達の段階に応じた魅力溢れる運動の種類が確定され、子どもにとって無理のない運動量や継続時間も調べる必要があるだろう。現在知られている幼児の運動能力テストは、課題の成否か、運動による成果の上限値を求めるものであるため、幼児の能力を正確に反映しているかどうか疑問が残る。幼児の場合、「できるだけ遠くへ跳んでごらん」といった場合よりも、上限値を見込んで「この線まで跳んでごらん」と指示した方が記録が伸びるとの指摘もある(7)。これまで運動の効果は、出力された結果以外に評価できる材料がなかったのである。ところが近年、脳機能の非侵襲計測が可能となり、安全に脳全域の活性状態を把握することができるようになった。今後は、光トポグラフィ(8)のような簡便に脳機能を定量化できる装置を利用して、様々な種類の運動遊びと脳活性領域の関係が分析され、心身の健全な発達に有効な運動の種類と量が明らかになるだろう。
次に、多様な運動遊びを可能にするための、心惹かれる環境づくりも大きな研究課題である。子どもたちがテレビゲームに見向きもしないで、夢中になって楽しめる遊具の開発と普及が必要なのだ。眠っていた冒険心を呼び覚まし、挑戦意欲をかき立てる大型固定遊具の設計には、子どもの運動発達や行動特性などを基盤とした安全性の確保が不可欠だろう。一方で、多少のリスクがあるからこそ挑戦したいという意欲が生まれ、課題を成し遂げたときの達成感が豊かな心を育てるのだ。「チャレンジ運動による仲間づくり」(9)が注目を集めている。安全と冒険という相矛盾する価値を両立した魅力的な運動遊びが求められているのである。
そして最後に、幼稚園や保育所と小学校の壁を取り払った、連続性のある運動遊びのプログラムを提供する場が組織されなければならない。幼児をターゲットとした既存のスポーツクラブは、何らかの競技スポーツの振興と普及を図る目的で開設されたところが多い。しかし、子ども学が提供する運動プログラムはどのスポーツ種目にも偏らない、独自の目的と内容を備えたものでなければならないだろう。
運動発達研究は、私の子ども学に欠かすことができないのである。
(1)NHK(2002)『教育フォーカス』「シリーズ生きる力って何ですか 3カラダの危機はココロの危機」.NHK教育テレビ:東京.2002/4/18放送.
(2)文部科学省(2001)平成13年度体力・運動能力調査 http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/002a/index16.htm
(3)厚生労働省大臣官房統計情報部(2001)平成13年度国民医療費の概況 http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/01/
(4)文部科学省(2002)子どもの体力向上のための総合的な方策について(答申) http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/021001a.htm
(5)Child Research Net(2002)「保育の質を考える」心とからだを育む視点から,柳澤秋孝,「からだを動かし脳を育み心を発達させる『運動保育援助プログラム』」~幼児運動学の視点から~ https://www.crn.or.jp/LIBRARY/EVENT/NURTURE/REPO_03.HTM
(6)柳澤秋孝(2002)「生きる力」を育む幼児のための柳沢運動プログラム 基礎編.オフィスエム:長野
(7)森下はるみ(1998)幼児の体力・調整カテストの検討,フィットネス向上の科学,体育科学 第27巻,体育科学センター第5回公開講演会講演要旨3:東京 http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1998/00070/contents/161.htm
(8)光トポグラフィ http://www.miyuki-net.co.jp/hikari/ (光トポグラフィは、株式会社日立製作所の登録商標です。)
(9)Daniel W.Midura & Donald R.Glover:高橋健夫監訳(2000)チャレンジ運動による仲間づくり.大修館書店:東京