「お金」を通してみる子どもの成長~子ども学に期待すること
内田ふみ子(ファイナンシャル・プランナー・FP教育の会代表)
「お金」あるいはお金に代表される交換や贈答には、その人の行動や考え方の傾向、人間関係や社会との関わり方が表れる。
家計相談や保護者からのおこづかい相談の現場では、たとえば経験的にお金に対する傾向を類型化して、子育てに活かすことも可能ではないかと考えられる。しかし、実証研究や理論的な根拠は脆弱である。
従来のいわゆる金銭教育は、道徳論や規範論に偏ってきた感があるが、現実社会がネットやマスコミを通じて否応なく子どもの隣に迫っており、それではとても太刀打ちはできない。
社会生活を送るうえで子どもが「お金」との付き合い方を学ぶために、生物学、発達心理学をはじめ、民俗・民族学といった、広い分野の支援を切実に必要としている。
子ども学が、包括的に「子ども」に関わる学術研究と実践の結びつきを積極的に後押ししてくれるものであることを期待する。
子どもによって違うお金にたいする態度
家計相談の現場にいると、家計簿やお金の使い方をみて、生活行動や性格まで察することができる。同様に子どものおこづかいやお金の使い方、貯め方からも、その子の性格が垣間みえる。
たとえば同じ家庭に育った二人のきょうだいの場合、5歳で初めて月500円のおこづかい制を始めたとき、1か月目は2人とも1週間も経たないうちに使い果たした。2か月目、一人は貯めることを始め、3か月目のおこづかいと合わせておもちゃを買った。もう一人は、3か月たっても貯める行動は取らなかった。
貯蓄をはじめた子どもの方は小学校卒業まで、買いたいものを決めて目標額を貯蓄するが、「買う」という行動に出られないことがたびたびあり、自分の好きなこと、本当にしたいことにうまくお金を使えないというマイナス面をもっている。もう一方は必要なものや、本当に手に入れたいもののために充分貯蓄をする前に、目先の手に入れやすいものに費やしてしまう傾向がみられた。結果、おこづかいの中から買うことにしていた学校で使うノート(必要なもの)が買えない、という事態にしばしば陥っている。
一般に、子どもが貯蓄をすることは良いこととして奨励されている。しかし貯めるだけでうまく使えないということは、将来自分が成長するための自己投資の決定がなかなかできず、キャリア形成にも影響するのではないかという心配もある。むしろ好きなものが消費行動から傍目にもはっきりわかる子どもの方が、保護者をはじめ周囲が手助けしやすいともいえる。
お金に対する態度が子どもによって違うということは、おこづかいでほしいものだけでなく、必要なものも「やりくり」して賄う、との約束のもとで、表れてきたことである。実際には、必要なものは親が買い、子どもはおこづかいを好きなように使う、といった方法をとっている家庭も多い。その場合、お金の使い方の傾向に気づくのは大分あとになるだろう。大人になっても家計指導で浪費傾向もコントロールできるようになるので、必ずしも遅過ぎるということはない。しかし、おこづかいで「やりくり」を、という提案を実行した家庭からは、「子どもがねだらなくなった(幼児)」「自分で考えて使うようになった(小学生)」「商品や値段を比べて買っている(小学生)」「100円ショップを上手に利用して、お金をかけずに工夫している(小学生)」といった感想が届いている。おこづかいの渡し方が、子どもの成長に何らかの影響を与えていると考えることはできないだろうか。またおこづかいを通して、子どもの成長を促すこともできるのではないか。
もっと具体的に、お金との付き合い方について性格・傾向を見極め、それぞれに合った効果的な教え方ができるのではないかと思われるが、そのためには子どもの発達心理面などからの研究が欠かせないであろう。
保護者のおかれた状況と悩み
離乳食という栄養摂取のトレーニング、オムツはずしという排泄のトレーニングの次にやってくるのは社会や人との付き合い方のトレーニングだと考える。そのために交易の必要から生まれた「お金」は絶好の教材になるのである。
しかし残念ながら、その教える役割を担うはずの保護者は、自分の子ども時代との環境の違いに戸惑い、助けを求めて学校の懇談会で相談すると、プライバシーに関わる問題でもあり、家庭ごとの方針でどうぞと放り出されて立ち往生しているのが実情である。
家計の相談現場では充実した人生を送るために、「稼ぐ」「使う」「貯める」「借りる」をどう効率的に組み合わせるかを相談者と検討している。つまり我慢を覚えさせ、おこづかい帳で計画的に、といった従来のアドバイスは、手段のほんの一部にしかすぎないのである。それだけを勧めるのは現実的ではないし、我慢させなければならない子どもばかりではない。
複数の保護者からは「子どもがモノをほしがらない」という悩みが寄せられているし、小学生対象の講座で「ほしいものは?」と聞くと「ない」と答える子がいる。その子の性格やたまたま「ない」だけなのか、あるいは全体にモノをほしがらない子どもが増えているのかはわからない。ただ、保護者にはその子の性格かもしれない、としか伝えることができないが現状である。
保護者の悩みの代表的なもののひとつが、おこづかいとお手伝いの関係である。
たとえば「アメリカでは子どもはお手伝いと引き替えにおこづかいをもらっている。お金は労働の対価として教えるのに良い方法だ」と新聞雑誌などの記事で見かけることがある。しかし榊原節子氏(『金銭教育』総合法令出版、2001)は、心理学者の評価は二分されているとも伝えている。国内の心理学者がそのような研究をしたものはあるのだろうか。
また、国内ではお手伝いでおこづかいを渡すことに対して、保護者から強い拒絶反応が返ってくることがある。家族として当然だから、と。良し悪しではなく家事労働に対するとらえ方が、歴史的文化的に、あるいは民俗学的にみて違っているのではないか。
おこづかいの基準も保護者が知りたいことのひとつであるが、アンケートを取ってみると「学年×100円」としている回答が多い。なぜだろうか。おこづかいについて過去に家庭教育の規範のような何かがあったのだろうか。
家庭内の問題だけではない
子どもとお金の問題で保護者がとくに神経質になるのは、子ども同士のお金やモノのやりとりである。保護者向け講座を行うと必ず質問に上がってくる。こじれると、子ども同士親同士の絶交に発展してしまう。「子どもが友だちから10円借りたが、子どもから子どもに返すだけでよいか、相手の親に連絡すべきか(小学生)」「うちではおやつは家で食べさせているが、外で買う友だちとどう付き合えばよいか(小学生・中学生)」「友だちのお母さんにお店で100円程度のお菓子を買ってもらった。あまり良くないと思うのだが(小学生)」「お金をもっている同級生に付き合ってスーパーにいった。付き合わせたくないが(小学生)」などが代表的である。
こうしたことは、父親よりむしろ母親の悩みとして聞くことが多い。共働きでもPTAや親同士の付き合いや子どもの日常的な問題は、母親が抱えることが多いからだろうと推察する。父親の関心事は、おこづかいの使い方よりむしろ経済教育や起業家教育に関心が高いように感じる。
ところが親同士が親しい場合は、子ども同士のお金やモノのやりとりを、子どもたちが自分たちで出した答えに委ねてみよう、と見守る余裕が生まれているようだ。
つまり子どもを取り巻く父母、家族や保護者同士の関係まで、お金やモノを通じた子どもの交友関係にも影響しているのである。
思春期では、お金と、セックスとジェンダーという生物学的性差と社会・文化的性差両面から、性との関わりも考えなくてはならない。援助交際やアンペイドワークを、子どもたちがわかるような言葉で整理する作業も必要であろう。
保護者アンケート(注1)では、中学生ではおこづかいの悩みは減って、親にも親としての自信と思えるものが感じられるが、ケータイや消費者金融のコマーシャルなど、社会との関わり方に心配が移っている。
子どもとお金の問題には、親子関係や子どもの発達心理、家族文化、社会変化の影響などさまざまなテーマが凝縮され絡み合っている。
必要な学術的な裏づけ
クライアントから子どものおこづかいについて相談されるだけでなく、保護者や子ども向けに教えてほしいという要望を受け入れてきたが、最近はそれが増えてきている。
長子がまだ乳幼児という保護者からの相談や問い合わせもある。
母親対象に行われた野村證券の調査(注2)からも関心の高さが伺える。
手探りで子どもたちや親に接しながら、相談現場を踏まえた経験や保護者からの聞き取りからアドバイスや提案を行っているが、「お金」の問題は広範囲にわたっており、適切な実践活動のために、実証的研究など、裏づけとなるものを現場では切実に必要としている。
子ども学が、包括的に子どもを研究対象とし、学術研究と実践現場を積極的に結びつけ、子どもの成長に資する成果が挙げられる場になることを期待している。
注1.<子どもとお金>アンケート2001(FP教育の会、2001)
注2.「家庭での経済教育に関する調査」(野村證券、2003)